死、より学ぶ: 喪の仕事

  • Day:2015.04.09 22:33
  • Cat:日常
秋雑景


ずっと暖めていた想いなのですが、
なかなか文章に書き出す気力が湧かず、
冬眠しておりました。
みなさま、お元気ですか?
私は啓蟄を過ぎ、
桜の光景に圧倒され、
ようやくチロさんを失った現実を感じ始めております。



死は圧倒的な現実で、
それはすり替えることもできない。
喪失を受け止めるのに、
人は混乱し怒り悲しみ落ち込み、
否定し気づき力を回復し懐かしさに移行する。
わかってはいても
否定と現実感の喪失の中で冬を越しました。


1歳と7ヶ月で、
同胞の死を経験した大福。
亡骸を安置している部屋の前に、
しばらく立ち尻尾を下げたまま左右に振りながら
考えた後、
そろりそろりとチロさんの亡骸に近づきました。
クンクンクン。
匂いを嗅ぎ、
亡骸の周りを一周した途端、
ダッシュでリビングへ戻ってきて、
以後、
チロさんが骨壺に入って帰宅するまで
その部屋には近づきませんでした。
大福にとっては初めて一人称で感じる死、でした。
チロさんはお姉さんの役目として、
大福に死を学ばせてくれたのだと思います。
トリちゃんは、
結局チロさんとは最後まで仲良くならなかったけど、
チロさんの死を、
部屋の前で匂いで感じていました。
そして匂いで確認後は、
やはり荼毘に付すまで決して、
その部屋には近づきませんでした。


動物には動物なりの受け止め方があるのでしょうか。


私は、
すり替えや否定をしてみたものの、
やはり死は死であり、
チロさんの亡骸を前に、
地球の回転音が聞こえるんじゃないかという程、
お別れの夜を、シンと過ごして。
実は看取りの際に、
涙が出なかったのですが、
今になって撮っておいた動画や写真を見ると、
涙が零れるようになりました。
ようやく現実として、死と直面できるようになった。
そんな春を迎えています。
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